タイ滞在ラスト3日間、バスや船でバンコク中を散策する。

バンコクの渋滞は日本よりすごい。
バンコクの渋滞は日本よりすごい。

次の目的地であるマダガスカルへの飛行機チケットと日本への帰国便のチケットを探してたくさんの代理店を回っている時、日本語で書かれたバンコクバス&電車&船マップを発見した。

 

今までバスの乗り方が分からずカオサン通り周辺を歩くしか出来なかったのがこれで一気に行動範囲が広がった。

 

カオサン通りからはバスしか出ていないので、まずバスに乗って船乗り場か駅へ行く。バスだけであらゆる場所へ行けるのだが、乗り物好きなのででなるべくその街特有の乗り物に乗りたい。というわけで公共船で中心街へ。バンコクを流れる川ごとに船があって、地元の人達の貴重な足として活躍しているようだ。

電車の駅と同じようにたくさんの人が船乗り場に並んでいます
電車の駅と同じようにたくさんの人が船乗り場に並んでいます

 

 

バンコク中心街にあるデパートへ行ってみた。来る前はカオサン通りが中心なのかと思っていたけど、実はカオサン通りはバンコクの西の外れにあって、バックパッカーはたくさんいるけど、会社やデパートやタイ人が集まるのはもっと東にある中心街の方だった。

本屋で座り読みをする子供達。

 

ユニクロ発見!数百メートルの列が出来ていた。ここがタイ1号店で、前日にオープンしたということ。大変な人気です。

 

デパートの中にはスケートリンクもある。

 

バンコクには色んな民族が暮らしていた。

イスラム教の人達の地区もあった。ここだけタイじゃないみたいで面白い。イスラムの雰囲気が私は好きみたいだ。

 

この場所ではないが、バンコクの観光スポットを歩いている時一人旅をしているアフガニスタン人に記念写真を頼まれました。私は一人で大きなカメラをぶら下げて歩いているからか、良くいろんな観光客に記念写真を撮るよう頼まれる。アフガニスタン人に会ったのは初めてで新鮮に感じた。彼にアフガニスタンは旅行に行くのは危険だよねと聞いてみると全く危険はなくて美しい国だから是非来てくれと言われたが、結局危険かどうかは行かないと分からない。地元の人にとっては大丈夫でも外人にとってどうがは又別問題というのもあるし。

 

夜のネオン街、看板が日本語ばかりの通りがあった。

 

 

タイには2週間いたが、1週間は体調不良。それ以外にもマダガスカルへの旅の準備等で結局バンコクから一歩も出なかった。次はこの旅初めての飛行機。バンコクでゆっくり疲れを取ったので万全の体調でマダガスカルへ向かうことが出来そうだ。

 

最後にタイで一番印象に残った料理を紹介。タイ料理は本当に美味しかった。しかし紹介するのはイスラエル料理。イスラエル料理なんて初めて聞いたので期待したのですが、ここの店は値段は高くて味も美味しくない。私のチョイスもまずかったと思うが、野菜が全くなく、食べづらいパンに豆のコロッケが入っているだけの殺風景な物だった。

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体調最悪の状態でワット・ポーへ行く

宿泊:MERRY V.GUEST HOUSE

 

バンコク3日目、3軒目の宿に移った日から私の体調は急変した。お昼に食べた屋台の焼き鳥が原因かもしれない、疲れがたまっていたというのもあっただろう。9月2日の夕方から3日の朝までトイレとベッドを何十往復もしてほとんど寝れないまま朝を迎えた。

 

まだ熱はある感じだったがお腹は空っぽになったので、トイレからは解放された。宿の朝ご飯の中で唯一食べれそうだったコーンフレークを無理無理食べながらふと横を見ると、日本語のガイドブックを読んでいる女の子がいた。チェックインの時名簿を見てこの宿の日本人は私ともう一人しかいないことは知っていたので、嬉しくなってヘロヘロの状態ながら声をかけてみた。(多分)ガイドブックに載っておらず、カオサン通りから少し離れたこの宿で偶然出会ったということで親近感が沸き、思わぬ共通点もあったりして話しは盛り上がった(と思う)。

 

本当はずっと部屋で寝てるつもりだったが、彼女(Mさん)がバンコクで有名なワット・ポー(菩提の寺)に行くというのでもしかしたら無理した方が治りも早いかもと思い一緒に行くことにした。

 

 

宿の掃除をするお母さんに毎日付いてきた男の子。いつも仕事が終わるまで階段でおもちゃを広げて遊んでいた

 

ワット・ポーまでは船で行った。バンコクでは船は公共の移動手段なのだ。

 

出迎えてくれた全長46メートル、高さ15メートルの涅槃仏!

これは涅槃仏の足の裏。精巧に作られてました。
これは涅槃仏の足の裏。精巧に作られてました。
右側の鉢は煩悩の数だけあります。つまり108個。一つお金を入れると一つ煩悩が減るそうです。
右側の鉢は煩悩の数だけあります。つまり108個。一つお金を入れると一つ煩悩が減るそうです。

 

ワット・ポーはとても広くもっといろいろあるのだが、私の体力はこの涅槃仏を見た所で尽きてしまった。ホテルから寺まで結構迷ったし、船に乗って行ったりしたので本当は見る前に尽きていた。Mさんはもっと見たかったかもしれない。悪い事したな。

 

 

帰りは公共バスで帰った。
帰りは公共バスで帰った。

 

残念ながらMさんは次の日が出発だった。私が旅で出会う人は全員翌日出発する。

 

一緒にいるときは無理出来たが一人になると何もやる気が起きなくなった。3軒目の宿は廊下や隣の部屋の声が夜中まで聞こえる環境だったので、その日のうちに4軒目を探して移動した。

 

宿泊:BAAN SABAI

 

この日から一枚も写真を撮らず、ひたすら体に良さそうなものを食べて、薬を飲んで、昼は街を歩き、夜は部屋で本を読む毎日を繰り返し何とか1週間で完全に回復することが出来た。写真がないと記憶が曖昧で、この間の具体的な行動は何一つ思い出せない。

 

 

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シェムリアップからタイのバンコクへ〜カオサン通り周辺は日本人の沈没者達がいっぱい〜

昼間のカオサン通り。
昼間のカオサン通り。
夜のカオサン通り。断然夜の方が賑やか。
夜のカオサン通り。断然夜の方が賑やか。

 

シェムリアップを午前中にバスで出発、タイのバンコクへ向かう。バックパッカーの定番ルートだけあって車内は白人ばかり。日本人の女子大生2人組も乗っていた。

 

タイ国境まではお昼までにすんなり着いた。国境越えの手続きはいつも勝手が分からず戸惑う。分かっていそうな人の動きを見ながら何となく通過。タイ側の国境からは別の車で移動するとのことで、肩に目印のシールを貼られしばし待たされる。同じシールを貼られたのは私の他は韓国人の女性2人だけ。この少なさ、何となく嫌な予感がする。ガイドブックにはここらへんの解説があるのだろうか。やっぱりガイドブックはあるにこしたことはない。

 

それまで乗って来たバスの乗客はそこでバラバラにされて女子大生2人組とも分かれてしまった。すぐに出発する人もいるが私の番は中々来ない。やっと順番が来たと思ったら5分くらいで下ろされてしまった。そこにはたくさんの旅行者が集められていて、そこからさらに別のワゴン車で出発するらしい。

 

行き先別にまとまって出発するのだが、ここでも私の番は全然来ない。呼ばれないまま結局一番最後のグループになって、残ってる奴は乗れと言われてようやく乗車できた。

 

タイ国境は今までで最もいいかげんだ。既に夕方。チケットを買った時の説明ではとっくにバンコクに着いている時間である。車中には他に日本人の男性3人グループもいたが、不安と疲労と空腹で交流しようという元気も出なかったので一言もしゃべらなかった。

 

バンコクに着いたときもう夜で、すぐに何か食べて眠りたかったがこれから宿探しをしないといけない。貧乏一人旅で一番苦労するのが宿探し。毎回宛も無く次ぎの場所へ来るのですぐに見つかったためしがない。どこでも良いならすぐに見つかるが、安くて良い宿となるとそうは簡単に見つからない。

 

とりあえずバンコクといえばバックパッカーの聖地、カオサン通りがあるので、そこに行けばなんとかなると考えていた。バス降り場にいたタイ人に聞くとすぐ近くとのこと。今日はアンラッキーが続いていたが初めてのラッキーだった。

 

言われた通り行くとすぐに見つかった。まずは宿を決めなきゃと歩いていると、バッタリ最初のバスで一緒だった女子大生2人組と再会。聞くと彼女達は昼過ぎにはここに着いていたという。同じ時間に出発したのにどういう仕組みなのか。日本では絶対に味わえない理不尽さだ。

 

探す元気がなかったので2人に「地球の歩き方」を見せてもらい、そこに載っているカオサン通り沿いの宿に泊まることにした。

 

宿泊:7holder guest house

 

2人は数日はカオサンにいるとのことで、お互いこの通り歩いてれば又会いますねーなんて話して分かれたが、それっきり二度と会う事はなかった。

 

旅をしていてこうやって連絡先を交換しなかったばっかりに一期一会になってしまうことはよくある。相手が日本人であろうと外国人であろうと、再び会う可能性は低いにしろ連絡先を知っているかいないかは大違いだ。旅をしているとたくさんこういう後悔をする。

 

 

カオサン通りは夜中が一番賑わう。私は一晩で通り沿いの宿から逃げ出した。カンボジアに比べると値段はかなり高く設備はかなり悪い。その上一晩中うるさくて眠れないのだからたまらない。バックパッカーの聖地というから期待していたが、私は最後までここは好きになれなかった。多分仲間と一緒ならまだ楽しめる場所だと思う。

 

 

 

バンコク二日目は一日目の宿で知り合った日本人男子学生が友人から聞いたというおすすめ宿に移動した。一緒に行ったが結局彼はそこには泊まらず私だけチェックイン。ドミトリー10人部屋だったが料金が格安だった。部屋に入ると何と全員日本人。知らずに来たがここはバンコクに何軒もあると言われる日本人宿だったのだ。バンコクは日本人にはかなり暮らし易い街なので、日本人ビジネスマンや旅行者が大勢いる。

 

宿泊:A.T.guest house

 

シェムリアップにもあったが敢えて避けて来たので、日本人宿に泊まるのはこれが初めて。最初は乗り気じゃなかったが、案外すぐ部屋の人達と仲良くなりいろいろと話しが出来て思ったより楽しかった。

 

ここでは初めて沈没者達とも出会った。沈没とは物価が安く、社会的なストレスもない旅先の環境に慣れ切ってしまい、移動や観光もほとんど行わず1つの街や宿に長期滞在するバックパッカーの状態のことだ(by wikipedia)

 

同じ部屋には何人も日本人沈没者達がいた。私はそもそも旅の目的が一つでも多くの場所をみたいという物なので、沈没なんて考えられない。とはいえバンコクが日本人バックパッカーの代表的沈没場所なのは良く分かる。実際私の滞在期間は2週間だったが、これは海外で一つの街に滞在した最長記録だ。それだけここは日本人にとって生活するのが楽な場所なのだ。

 

私のように基本一人で旅行していると同じ場所に長くいようとあまり思わないが、ドミトリーで日本人の友達が出来て毎日一緒にダラダラしていたらそこから抜け出れなくなるかもなとは1泊して感じた。

 

やっぱり一人になりたいと思ったのと、私の中の最重要事項である水回りの環境が悪かったのでここも1泊でチェックアウトした。

 

少し安いのと、周囲が静かなのが気に入って3軒目の宿はカオサン通りから少し離れた場所を選んだ。

 

その日の夜から、かつて経験したことのない吐き気と下痢と熱の日々が始まった。

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background picture : Madagascar nosy iranjaマダガスカル ノシ イランジャ

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