シェムリアップからタイのバンコクへ〜カオサン通り周辺は日本人の沈没者達がいっぱい〜

昼間のカオサン通り。
昼間のカオサン通り。
夜のカオサン通り。断然夜の方が賑やか。
夜のカオサン通り。断然夜の方が賑やか。

 

シェムリアップを午前中にバスで出発、タイのバンコクへ向かう。バックパッカーの定番ルートだけあって車内は白人ばかり。日本人の女子大生2人組も乗っていた。

 

タイ国境まではお昼までにすんなり着いた。国境越えの手続きはいつも勝手が分からず戸惑う。分かっていそうな人の動きを見ながら何となく通過。タイ側の国境からは別の車で移動するとのことで、肩に目印のシールを貼られしばし待たされる。同じシールを貼られたのは私の他は韓国人の女性2人だけ。この少なさ、何となく嫌な予感がする。ガイドブックにはここらへんの解説があるのだろうか。やっぱりガイドブックはあるにこしたことはない。

 

それまで乗って来たバスの乗客はそこでバラバラにされて女子大生2人組とも分かれてしまった。すぐに出発する人もいるが私の番は中々来ない。やっと順番が来たと思ったら5分くらいで下ろされてしまった。そこにはたくさんの旅行者が集められていて、そこからさらに別のワゴン車で出発するらしい。

 

行き先別にまとまって出発するのだが、ここでも私の番は全然来ない。呼ばれないまま結局一番最後のグループになって、残ってる奴は乗れと言われてようやく乗車できた。

 

タイ国境は今までで最もいいかげんだ。既に夕方。チケットを買った時の説明ではとっくにバンコクに着いている時間である。車中には他に日本人の男性3人グループもいたが、不安と疲労と空腹で交流しようという元気も出なかったので一言もしゃべらなかった。

 

バンコクに着いたときもう夜で、すぐに何か食べて眠りたかったがこれから宿探しをしないといけない。貧乏一人旅で一番苦労するのが宿探し。毎回宛も無く次ぎの場所へ来るのですぐに見つかったためしがない。どこでも良いならすぐに見つかるが、安くて良い宿となるとそうは簡単に見つからない。

 

とりあえずバンコクといえばバックパッカーの聖地、カオサン通りがあるので、そこに行けばなんとかなると考えていた。バス降り場にいたタイ人に聞くとすぐ近くとのこと。今日はアンラッキーが続いていたが初めてのラッキーだった。

 

言われた通り行くとすぐに見つかった。まずは宿を決めなきゃと歩いていると、バッタリ最初のバスで一緒だった女子大生2人組と再会。聞くと彼女達は昼過ぎにはここに着いていたという。同じ時間に出発したのにどういう仕組みなのか。日本では絶対に味わえない理不尽さだ。

 

探す元気がなかったので2人に「地球の歩き方」を見せてもらい、そこに載っているカオサン通り沿いの宿に泊まることにした。

 

宿泊:7holder guest house

 

2人は数日はカオサンにいるとのことで、お互いこの通り歩いてれば又会いますねーなんて話して分かれたが、それっきり二度と会う事はなかった。

 

旅をしていてこうやって連絡先を交換しなかったばっかりに一期一会になってしまうことはよくある。相手が日本人であろうと外国人であろうと、再び会う可能性は低いにしろ連絡先を知っているかいないかは大違いだ。旅をしているとたくさんこういう後悔をする。

 

 

カオサン通りは夜中が一番賑わう。私は一晩で通り沿いの宿から逃げ出した。カンボジアに比べると値段はかなり高く設備はかなり悪い。その上一晩中うるさくて眠れないのだからたまらない。バックパッカーの聖地というから期待していたが、私は最後までここは好きになれなかった。多分仲間と一緒ならまだ楽しめる場所だと思う。

 

 

 

バンコク二日目は一日目の宿で知り合った日本人男子学生が友人から聞いたというおすすめ宿に移動した。一緒に行ったが結局彼はそこには泊まらず私だけチェックイン。ドミトリー10人部屋だったが料金が格安だった。部屋に入ると何と全員日本人。知らずに来たがここはバンコクに何軒もあると言われる日本人宿だったのだ。バンコクは日本人にはかなり暮らし易い街なので、日本人ビジネスマンや旅行者が大勢いる。

 

宿泊:A.T.guest house

 

シェムリアップにもあったが敢えて避けて来たので、日本人宿に泊まるのはこれが初めて。最初は乗り気じゃなかったが、案外すぐ部屋の人達と仲良くなりいろいろと話しが出来て思ったより楽しかった。

 

ここでは初めて沈没者達とも出会った。沈没とは物価が安く、社会的なストレスもない旅先の環境に慣れ切ってしまい、移動や観光もほとんど行わず1つの街や宿に長期滞在するバックパッカーの状態のことだ(by wikipedia)

 

同じ部屋には何人も日本人沈没者達がいた。私はそもそも旅の目的が一つでも多くの場所をみたいという物なので、沈没なんて考えられない。とはいえバンコクが日本人バックパッカーの代表的沈没場所なのは良く分かる。実際私の滞在期間は2週間だったが、これは海外で一つの街に滞在した最長記録だ。それだけここは日本人にとって生活するのが楽な場所なのだ。

 

私のように基本一人で旅行していると同じ場所に長くいようとあまり思わないが、ドミトリーで日本人の友達が出来て毎日一緒にダラダラしていたらそこから抜け出れなくなるかもなとは1泊して感じた。

 

やっぱり一人になりたいと思ったのと、私の中の最重要事項である水回りの環境が悪かったのでここも1泊でチェックアウトした。

 

少し安いのと、周囲が静かなのが気に入って3軒目の宿はカオサン通りから少し離れた場所を選んだ。

 

その日の夜から、かつて経験したことのない吐き気と下痢と熱の日々が始まった。

※ホームページ内の写真は貸し出しを行っております。ご希望の方はメニューのCONTACT/お問合わせ/撮影・カメラレッスン依頼からお問い合わせください。

 

 

 

 

background picture : Madagascar nosy iranjaマダガスカル ノシ イランジャ

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