24時間タクシーブルースに乗り続けてアンタナナリボへ戻り、タイ・バンコク乗り換えの飛行機で日本へ帰国。預けた荷物は2回とも被害を受けていた。

マダガスカル最終日の9月30日にアンタナナリボで出会ったバナナ売りの少年
マダガスカル最終日の9月30日にアンタナナリボで出会ったバナナ売りの少年

 

宿で朝ご飯を食べてから、ディエゴスアレスへ戻るため村のタクシーブルース乗り場へ。車は既に来ていたが、いつも通り満員になるまでしばし待機。軍人さんも乗車して来た、日本でも公共の乗り物に自衛隊が乗ることはあるのだろうか、今までは見た事ないな。マダガスカルの軍人さんカッコいいな。

満員になって出発してからも途中で行きと同様どんどんお客を乗せてワゴン車は立ち乗り客であふれる。途中でスライドドアが外れて道路に落ちたのだが何事もなかったように運転手が拾ってはめていた。ドアの近くに立つのは危険なようだ。

行きでルートが分かっていたので帰りは案外すんなりディエゴスアレスのHOTELまで着く事が出来た。日本人が荷物を置いたまま一晩帰らなかったから、フロントでさぞかし心配されるだろうと期待して帰ったが全くそんな素振りはなく、昨日はどうしたと聞いてもくれなくてがっかり。

 

チェックアウトの時間は11時で、私が戻った時すでに11時を過ぎていた。すぐに準備をして、12時近くにチェックアウトしたらシビアにもう一泊分の料金を取られた。延滞金少し取られるか、もしかしたらサービスで無料かなんて甘い期待をしていたからこれはショックだった。今までも数回チェックアウトに遅れたことがあったが一泊分取られたのはこれが初めてだ。昨夜もここに泊まらなかったことを考えると2泊分無駄にしたことになる。だけどそんなことを引きずってる暇はない。今日は9月28日で、アンタナナリボからタイへ飛ぶ飛行機のチケットは9月30日。ディエゴからアンタナナリボまではTAXIブルースで約24時間かかるらしいから、絶対に今日中にこの町を出発しないといけない。

 

今まで散々苦労してきたTAXIブルースのチケット購入だが、今回は初めて運が良かった。予め見つけておいた乗り場へもすんなり着き、しかもチケット代がガイドブック等に書いてある現地人の相場よりも安かった。ここまで必ず外国人用ぼったくり価格で乗車してきた身からすると、ホテル代を余計に払った事が帳消しになるほどの嬉しさだ。そして今日の最初のチケット購入者だったのだが、TAXIブルースでは最高の席である助手席をキープしてくれるという至れり尽くせり。

 

なぜこんなにも対応が違うのか、実は今まではチケット売りは全員男だったのだが、今回売ってくれたのはおばさんなのだ。経験上、もちろん例外はあるが大抵の場合海外の商売人は男性より女性の方が誠実なのである。

 

いつも通り満席になったら出発とのことで、15時半に戻ってくれば大丈夫と言ってくれた。これまで何時間もじっと待つだけだったのに比べれば、自由に時間を使えるのは有難い。ここのところ行けなかったインターネットカフェで時間をつぶす事にした。

 

ところが15時頃、血相を変えたおばさんが私を探しにきた。何故かとても怒っている。付いて行くともう全員車に乗り込んで私待ちの状態、どうやらだいぶ予定より早く集まったようだ、自分たちを待たせる最後の客が日本人だと分かった途端、予想外だといった感じで皆笑い出した。私はホッとして謝りながら乗り込んだが、おばさんはずっと私に怒っていた。良い思い出だ。

 

 

食事休憩のみで24時間満席の車に乗り続けるのは中々ハードだった。その食事休憩も短くて、この日の夕食に入ったレストランでは料理が出て来るのが遅過ぎて食べる前に出発時間が来てしまったほどだ。乗り心地が悪いから夜もほとんど熟睡は出来なかった。

 

 

朝5時に長めの休憩。各地から来たTAXIブルースが集まる場所のようだ。日本の高速パーキングのようなものか。店番の男の子は朝早くから偉いな。それにしてもどの店も置いてあるものがほぼ一緒。どうやって買う店を決めれば良いんだろう。

故障?ガソリン切れ?
故障?ガソリン切れ?
空ペットボトルに入れられた謎の食べ物。良く見ると店の下で皆寝てる!!
空ペットボトルに入れられた謎の食べ物。良く見ると店の下で皆寝てる!!
道中の村
道中の村

 

 

28日の午後3時台に出発して、アンタナナリボへ着いたのは29日の午後3時台。24時間の乗車でお尻とかあちこちが痛い。早くベッドで横になりたかったのでタクシーブルースを降りてすぐにタクシーを捕まえ、どこでも良いから安いホテルへとお願いした。走っている最中に運転手の兄ちゃんが明日どうするのか聞いてきたので、飛行機で帰ることを伝えると明日ホテルに迎えに行って空港まで行ってやると言ってきた。私としては時間通りに来るはずないと思ったから断ったのだが、車を降りてからもしつこく言って来るので、来なかったらすぐ他のタクシーに乗ればいいかと思い申し出を了承した。

 

荷物を置いて一眠りして、夜になってから夕食と明日の朝食の買い出し。カップラーメンを見つけて即買い。これはかなりテンション上がった。手頃な店が見つからず、夕食を食べるまでにかなり時間が経ってしまい帰る頃はもうほとんど人通りがなかった。アンタナナリボは日本でいう東京、治安の良いマダガスカルの中で一番治安が悪い聞いていたのでこの時の帰り道は相当怖かった。都会と言っても日本のように明るくはなく、黒人の肌の色だと闇に溶け込んで見えて余計に怖い。なるべく走って動き、前方に若者がたむろしているのが見えると道を変えながら無事何事もなくホテルまでたどり着いた。

 

翌30日。フライトは夕方だったので、ホテルに荷物を預け昼過ぎまで市内を最後の散歩。

 

階段沿いに家が立っているのは日本ではあまりないですよね
階段沿いに家が立っているのは日本ではあまりないですよね
手を繋いで車道を渡る兄妹
手を繋いで車道を渡る兄妹

 

予定より早めにホテルに戻ると、もう昨日約束したタクシーがホテル前で待機していて驚かされた。マダガスカルで時間より早い行動をされるとなにか裏があるのじゃないかと逆に心配になってしまう。日本が何でも時間通りなことは、実は凄いんじゃないかと思った。

 

空港に着いてからも彼は荷物を運んでくれ、手続きが全部終わってもまだ帰らなかった。手持ちのマダガスカルアリアリを使ってしまおうと高いチョコレートを買い、それでも残ったお金を全部彼にチップとして上げると満面の笑みを浮かべて去って行った。

 

これでもう大丈夫かと思いきや、ここから日本までが大変だった。10月1日の朝にタイのバンコクに着いたのだが、預けた荷物の外側のポケットに入れておいた高いチョコレートが封を明けられて綺麗に半分だけ食べられていた。どうせなら全部盗めば良いのにと思うのだが、半分残してくれたのが何だか可愛くて笑ってしまった。こうゆうところがマダガスカル人の憎めない所かもしれない。

 

バンコクから日本への飛行機は深夜だったので、丸一日時間があったのだが、この時点で私は明らかに体の異変を感じていた。熱があり喉が痛い。ただ空港で何もせずに朝から晩まで時間は潰せないので、重い体を引きずってまずは空港周辺を走るシャトルバスに乗って、どこかゆっくり出来る場所を探した。まず一周して何個か目星をつけ、2週目で実際何カ所か降りてリサーチ。結局3週目に入ったホテルで、風呂とサウナだけの利用を許された。高級ホテルだったので安宿に泊まるより高い利用料だったが、充分その価値はあった。数週間ぶりのお風呂は心の底からリラックスでき、時間もかなり潰せた。3時間ほどそこにいて、またシャトルバスに乗って空港へ戻り、夕食を食べた。

 

意識が朦朧としていて、そこから翌朝に日本に着いて家に帰るまでの記憶がほとんど残っていない。唯一覚えているのは成田空港で預けの荷物を受け取ると、かけておいた鍵が無くなっていたことだ。中身を調べても何も盗まれていなかったが、空港職員に質問してもそういう事例は普通は有り得ないということだった。ただやはりこういうトラブルに関する日本の対応は抜群に親切だったことが印象に残った。

 

帰国して3日間はほとんど一日中寝ていた。相当疲れが溜まっていたらしい。

 

実はこの旅が始まってすぐに壊れたキャリーバッグの保険申請の関係で、3ヶ月で帰国せざるを得なかったという事情があった。だから本当はすぐに次の旅に出発しようと思っていたが、だらだらしていたら次の出発は12月になってしまった。

 

 

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カメレオンを見たくてアンバー山国立公園へ行く。下山中に陽が暮れ、街へ帰る交通手段無くなる。

行きに乗った車のフロントガラスは今にも割れそうだった。
行きに乗った車のフロントガラスは今にも割れそうだった。

昨日は一日かけてアンバー山国立公園の行き方を調べた。最初にツアー会社へ行ってみたが、車をチャーターする以外の手段はなく、しかも一人幾らではなく一台幾らの計算なので複数でチャーターしないととてもじゃないが払えない。白人の団体が何組かチャーターをしていたのが羨ましかった。こうゆうときはだけは一人旅の不利さを感じる。

 

次にタクシーの可能性を探ってみたが街から山を往復することはしていないそうで、山の麓まで片道なら可能だがやはりとても料金は高い。結局大勢の人に聞きまくって、一番安く行ける方法は山行きのタクシーブルース乗り場までタクシーで行ってそこからタクシーブルースに乗るということらしい。上手く行くか不安を感じながらもその方法にかける事にした。

 

朝宿を出発して、まず腹ごしらえ。おしゃれにクレープと紅茶。午前中の間にタクシーで乗り場に到着。しかし何もない場所、本当にこの場所であってるか分かる手段もない。大体誰とも言葉が通じている訳でなく山の名前とここへ行きたいと書いた紙を見せてるだけだから心許ない事この上ない。

 

マダガスカルの公共交通の時間がどんなものかこの日までに免疫はついていたので多少待つ覚悟はしていたが、しばらく待っても来ない。だが徐々に私以外の現地人も集まってきたのでこの場所が少なくとも乗り場であることは間違いなさそうだ。結局1時間以上待って正午頃に満員のタクシーブルースがやってきた。

 

今まで長距離のブルースには乗ってきたが短距離は初めて。長距離でもぎゅうぎゅうに座ってキツかったが短距離はそんなレベルではなかった。11人乗りの車に20人乗る、つまりちょっと大きめのワゴン車で半分は立ち乗りなのだ。いやもうこれ以上は乗れませんと思ってもどんどん途中で新しい客を拾う。

 

体を斜めに折り曲げた状態のまま乗り続け、車が集合している場所へ到着。てっきり山まで行けると思っていたがこの場所で又乗り換えがあるらしい。今度は普通の車で数人で出発するので値段はタクシー並み。ここでも又中々出発しない、経験上きっと同方向の客が揃うまで出ないのだろう。だが観光客は私一人、地元の人で山に行く人はあまりいないみたいで待てど暮らせど私以外車に乗ってこない。

 

入山時間は16時までなのでどんどん焦りが募った。ようやく出発した時は14時を過ぎていた。朝に出てまだ山に着いてない事実にもう既に心は折れ気味。さらに残念な事に車が着いたのは山の麓の村まで、他の客は皆ここで降りるので後は一人で登れということだ。山道は1本なので迷う事はないが国立公園の入り口までどのくらいあるのか分からない。

 

登っている途中雨が降ってきた。この山は一年中降水量が多いため植物の生育が良いと書いてあったのに雨の用意をしてなかった愚かな私、濡れてズボンは泥まみれになりながら歩き続ける。途中白人の団体がチャーターした4wd車とすれ違った。普通はもう帰る時間なのだ。

 

ここまで来て引き返す訳にはいかない。歩き続ける事25分、何とか入り口に到着。こんな時間に一人で歩いてきた日本人に係員達も驚いていた。アンバー山は入園料と案内してくれるガイドさんへのお金が必要。英語のガイドが一番高く、安い人が良いと言ったが規則で駄目とのこと。まあこれは仕方ない。それに結果的にこのガイドさんはとても良い人で、この後命の恩人になってくれた。

 

下山してくる白人客はちらほらいるが、これから登ろうとしているのは私一人。雨の中ここまでの強行軍で既に足が痛かったが、素晴らしい自然の中を歩いていると心は浮き立ち疲れも消えて行った。たくさんの動植物を見たかったがガイドさんが見つけてくれたのは何匹かのカメレオンだけ、それでも野生のカメレオンとの遭遇は苦労して来た甲斐があったと言える程心躍る時間になった。

2cmしかないけどこれもカメレオン
2cmしかないけどこれもカメレオン
鼻が紫色のカメレオン
鼻が紫色のカメレオン
カメレオンの歩く姿かわいい。
カメレオンの歩く姿かわいい。

 

運が良ければもっと色々な生き物に会えるらしいが時間帯と天候のせいか今回は小さいカメレオン達にしか会えなかった。それだってガイドのおじさんが信じられない観察力でそこにいると教えてくれなければ、自分一人でも何も見つけられなかっただろう。

 

雨の中どんどん道なき道を進んで行くおじさん。付いて行くのが精一杯。



山の入り口に戻ってきたのは16時45分。約2時間山を歩いた。5人いた係員は1人しか残っていなかった。本来なら16時で終わる所を私のために延長してくれたのだろうか。有難い。楽しかったがそれ以前に相当な距離を歩いていたので、すでに私の足は限界に近かった。ここから又麓の村まで相当な距離を歩かなければ行けない。

 

ガイドのおじさんともう一人の係員も同じ道で下山するようだが、彼らは全然疲れてないのでペースが待ったく違う。すぐに何百メートルも差が付いた。陽はどんどん落ちて周囲は薄暗くなって行く。明かりがないのでもし完全に日没したら完全な暗闇になってしまう。私は痛む足を引きずって必死に歩いた。一人になるのが恐かったが二人に待ってくれとも言えない。しかしガイドのおじさんはのろのろ歩く私を心配してるのか、たまに振り返って付いてきてるか確認してくれる。そして見失わない距離を終止保ってくれていた。これは本当に有難かった。もしこのまま暗くなって道に迷ったら大げさでなく危険なのだ。

 

ほとんど何も見えなくなった頃、麓の村に着いた。私を待っていてくれたおじさんに街まで帰る方法を聞くと、明日の朝までタクシーブルースは来ないと言う。もちろんタクシーももう来ない。麓の村の名前はジョフルヴィルと言うのだが、もはや真っ暗で何処に何があるのか分からない。私の目には宿があるような村にも見えなかった。言い知れぬ不安を感じながら藁にもすがる思いで何処か泊まる所はないか聞くと、ちゃんと村に宿はあって案内してくれた。もしこのおじさんがいなければどうなっていたか、本当に危ない所だった。私を案内するとおじさんは何事もなかったかのように去って行った。

 

ジョフルヴィルの宿:CHEZ HENRIETTE

 

びしょ濡れで着替えもなく、山の夜は気温が急激に下がって震えるくらい寒かった。ジョフルヴィルの宿は小さな村にしては悪くなかったが料金はディエゴのホテルの1.5倍。晩飯も食べると2倍になるが、昼も食べれず死ぬ程腹が減っていたのでどんなに高くても食事出来るのは嬉しい。シャワーもお湯が出てくれ、冷えた体を温める事が出来た。浴室に亀がいて、私がシャワーを浴びていても微動だにしない。もう一度濡れた服を着るとすぐに体温が下がってくるのでずっとバスタオルを巻いて過ごした。

 

念願の夕飯はココナッツチキンと野菜炒め、紅茶。美味しいと言える程の料理ではなかったがあっという間に平らげると少し元気が出た。

 

こんな所に宿泊するのは私一人だろうと思っていたが、他に2人のスペイン人男性が泊まっていた。彼らは凄い荷物で、鍋まで持って旅していた。お互いのガイドブックの話になって、スペインには良いガイドブックがなく皆大抵ロンリープラネットを使うと教えてくれた。私の地球の歩き方を見せると写真の多さに驚き、ビジュアルに優れたガイドブックだと言っていた。ロンリープラネットは確かに写真が少ない。両方使ったことがあるが、分かりやすいのは歩き方、情報の多さと正確さはロンリープラネットという感想だ。ロンリープラネットは全編英語なので、そこをクリア出来る人は皆こちらを使うだろう。

 

疲れが極限だったので、長話はせず(英語なので話しているだけで疲れる)、ベッドに入った。まだ濡れているので寒さと不快さが消えなかったが疲れの方が強くすぐに眠りに落ち、朝起きたときはスペイン人2人はもう出発していなかった。

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ディエゴ・スアレス〜日本語を話すマダガスカル人の少女に『ばかやろう』と言われる〜

まるで映画のセットのようなディエゴ・スアレスの町並み
まるで映画のセットのようなディエゴ・スアレスの町並み

 

今日は一日ディエゴ・スアレスを散策する。新しい町に来たら大抵一日はその町を歩くことに費やす。ガイドブックに乗っている場所に行くのも良いが、それと同じかそれ以上に町歩きに心惹かれる。それが日本と違う程、興味も楽しさも増す。

 

ガイドブックによると、ディエゴ・スアレス湾はブラジルのリオに次ぐ世界2位の大きさらしい。しかもこの湾で第2次世界大戦下の1942年、日本とイギリスが交戦しその慰霊碑が市内に建立されているという。町並みは植民地時代の名残やイスラム的な雰囲気もあり、北部アラブ人系コミュニティの中心とも書いてある。確かにこの町は他のマダガスカルの都市に比べて異質な感じを受けた。町の北部側はこのまま映画のロケに使えそうな雰囲気で、人も少なく何かセットの中に迷い込んだような気にさせられた。

 

古くて雰囲気の良い建物はどこもドアが閉まっており、使われているのかどうか分からなかったが、その無人感が又映画のセットのようだった。

 

 

 

ディエゴスアレスのメイン通りであるコルベール通り(上の2枚もコルベール通り)を歩いていると、3人組の子供達が話しかけてきた。日本人というのだけは伝わり、写真を撮れというジェスチャーだったのでもちろん喜んで撮ると、お金を要求された。ただそれほど本気ではなく、笑いながらもらえれば儲け物というくらいの感じだったのだが、上げないよとこちらも笑いながら言うと、真ん中のリーダーの女の子(どことなくアフリカ以外の血が入ってそうな美人さん、髪も一人だけ直毛だったし)が何か言葉を思い出そうとしている。そして放たれた言葉は日本語で「ばかやろう」。これも笑いながら言っているので、本気ではなかったと思うが、日本語を知っていた事に驚いた。それもばかやろうって・・。

後ろの壁の絵が中々に芸術的
後ろの壁の絵が中々に芸術的

 

町の最北部まで行くと大きな湾が見えた。公園や丘があり、市民の憩いの場になっていた。

 

この町ではコルベール通りにあるような古い建物以外にも、興味深い建物があった。ディエゴスアレス出会った面白い建物ベスト2をお見せします。

 

まずはこれ。学校生活の絵が壁全体に描かれてます。上手いか上手くないかは別として、味わい深い絵だと思いませんか。絵から察するにここは学校か。

 

お次は見た瞬間度肝を抜かれたマンション。地震が来たらどれだけ揺れるのか。地下に駐車場を作るのは良くあるけど、こんな危険な駐車場は日本では絶対ないと思う。

 

 

最後に町の中心、フォシュ広場での光景。3人の子供がカメラマン役とモデル役になって遊んでいた。それを見てきっと本物のカメラで撮って上げたら喜んでくれるんじゃないかと思って近づいて行くと、案の定注目してくれてモデルになってくれた。

 

 

26日月曜日はようやく正規の両替をしたり、ディエゴスアレス近郊の有名観光地の一つであるアンバー山国立公園への行き方を調べたりして、後は又町をブラブラして終わった。27日は1日中アンバー山国立公園を歩きまわるつまりだったが、予想外のことが起きすぎてこの旅最大のピンチを迎える事になる。

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background picture : Madagascar nosy iranjaマダガスカル ノシ イランジャ

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